この日もシモンズ剣術道場は、未来の剣士を夢みる子供たちで大賑いだった。

「こら!遊ぶんだったら帰れ!」

 テイラー=エヴァンズは、稽古場を走り回る子供の一団に向け、本日何度目かの雷をおとした。

 彼はこの道場の出身で、念願叶って士官となった後も、時折こうして手伝いに来ていた。

「だから、稽古場を走るな」

 もっとも、子供たちにしてみれば、そんなものは雷でも何でもなく、精々が小鳥のさえずりのようなものである。

「ほら、もう遅いから帰れって」

 一向に話を聞かない子供たちに業を煮やし、ひとりずつ追いかけ回しては捕まえ、強制的に退場させる。そんなことを繰り返していると、子供のひとりが反対方向に向かっていく。

「良いのか、まだ帰らなくて」

「うん。今日は特別だから」

 少年は、テイラーの問いかけに満面の笑みで答えた。彼は、かつてテイラーがオニと呼び、今もって畏敬の念を抱いている人物の愛児である。

「特別…?」

 一体何の話だろう。そう思い、聞き返そうとするも、バタバタと近づいてくる足音にかき消された。

「せんせー!これ曲がっちゃったー!」

「曲がっちゃったじゃない。ちゃんと直せ」

「できなーい!」

「こら!待てって」

「だって、さっき帰れって言ったじゃん。さよならー」

「さよならって、オイコラ!」

 押し問答の結果、剣先の曲がった模擬剣を押し付けられ、テイラー深い溜め息を吐いた。

「ったくしょうがねえな」

 彼は玄関脇の長椅子に腰を下ろし、すぐ横のスタンドにそれを投げ入れた。スタンドには、同じような剣が何本も立て掛けられていた。

 テイラーは、そのうちの一本を手に取ると、柔らかい布で刃の部分を包み、柄を回しながら丁寧に錆を落としていく。

 それが済むと、今度は手のひらに柄の部分を乗せ、目線と平行にし、歪みがないか確認する。そうして歪みがあれば、片手で剣先を、もう一方の手で柄を持ち、力を加え矯正する。

「ふっ!!」

 それには結構な力が要るが、闇雲に力を入れると折れてしまうから難しい。微妙な匙加減が求められるのだ。

「ふう…」

 一旦息を整え、もう一度力を込めようとしたところで、向かいからカツカツと長靴の音がした。テイラーは反射的に顔を上げ、それからぎょっとして目を見開いた。

「ジョージアせんせい?!珍しいですね、こんな時間に」

 だが、すぐに平生を装い、模擬剣を下ろした。

「息子に迎えに来いとせがまれた」

「ああ、それで。でも、確かにこのくらいの時間にならないと、強い人来ませんからね」

 テイラーが言うと、恩師は不思議そうにこちらを窺った。

「先生のお子さん、同じ年頃の子の中じゃ不動の一位ですから。早い時間に来ても、大概下の子たちの相手をしてあげるだけで、もて余している感じでした」

「そうか」

 師はしばらくの間考えを巡らした後、稽古場へ目をやった。

「ところで、シモンズ先生の姿が見えないがどうかされたのか」

「シモンズ先生は、このところ体調が優れないみたいで、出たり入ったりなんすよね。それもあって、自分らが手伝いに」

 幼年層の子供が帰り、多少はマシになったとは言え、稽古場の空気がいまいち締まらないのはそのためである。

「そういうことか。ひょっとして、息子の相手を?」

「手が空いているときは、ですけど」

「お前も忙しいだろうに、申し訳ないな」

「いえ、全然」

 テイラーは大きくかぶりを振った。

「自分も兄弟子たちに散々相手してもらってましたし、そこはお互い様なんで、全然構わないです。先生のほうこそ大変ですね」

「ああ、肝心なことは何も話してくれない」

 師はそう言って、苦笑した。

「ならそれもあって、先生に来てもらいたかったんじゃないすかね」

 稽古場に目を向けると、丁度、当該人物が剣を構えるところだった。

 少年の顔つきは、先程とは打って変わって真剣そのものだ。視線の先の相手とは、頭ひとつ分差がある。

 だが、少年はそんなハンデをものともせず、軽やかな足取りで相手との間合いを詰め、瞬く間に壁際まで追い詰めていく。

 ガチンと金属の合わさる音がして、一瞬少年の姿が消えた。そして、次の瞬間、下から上へ払った剣先が相手の腕を捉えた。彼はその小さな身体を活かし、剣を持った相手の下側に潜り込んでいた。

「ほう、上手いものだな」

「いや、本当に…って、えっ?!」

 驚いて見上げた師は、これまで見たことのないほど、柔らかな表情をしていた。

「先生はいつも見てるんじゃ…」

「いや、錬成会以来だ」

「何でですか?先生が見てあげてるんじゃないんですか」

「剣術のことはシモンズ先生にお任せしている」

「はあ」

 俄には信じられない。テイラーは思い切り疑いの目を向けた。

「前にいろいろあって、基礎練習くらいは付き合うが、手合わせすることはない」

「そうなんですか。って、もう見ないんですか」

「ああ、これ以上見ていたら口を挟みたくなる。どうもあいつが相手だと、冷静な判断が出来なくなる。おかしいだろう?」

「いえ、そんなもんすよね、 身内なんて」

 門弟たちの中には、いわゆる二世も少なくない。身内にものを教えるというのは、存外にやりにくいものなのかもしれない。

「まだしばらくかかりそうだな。エヴァンズ、剣を寄越せ」

 言うや否や、師は模擬剣を掠めとった。テイラーが呆然としているうちに、手慣れた様子で剣先を直しにかかる。

「すいません、先生にこんなことさせて」

「ただ待っているよりかはマシだ」

 師は模擬剣が真っ直ぐになったことを確認すると、軽く一振りした。どうということもない所作だが、テイラーはその姿に釘付けになった。

「先生、お願いがあるんですけど」

「何だ」

「図々しいのを承知の上で言うんですけど、手合わせしていただけないでしょうか」

 突然こんな身の程をわきまえないことを言えば、途端に師は不機嫌になるに違いない。そう思ったが、気持ちを抑えられなかった。

「ああ、外で良いか」

 ところが、返ってきたのは拍子抜けするくらいあっさりしたものだった。

「勿論です!」

 テイラーは深々と頭を下げた。


 師と剣を交えるのは、卒校以来初めてのことだ。あの頃と同じく、速く、鋭い剣に圧倒される。だが、今の自分はまがりなりにも、士官学校出の軍人である。そう思い、剣を握る手に力を入れた。

 激しく金属がぶつかり合い、時折り受けきれずに肩や胸を強か打たれた。しかし、興奮状態にあるせいかさしたる痛みは感じず、むしろ闘志に火がついた。

 テイラーが無我夢中で斬りかかったその直後、利き手に手応えを感じた。

 当たった。

 思わず小躍りしたくなるも、すぐさま応酬が始まった。

 高速で繰り出される師の剣についていけなくなったところで、首筋に冷たい感触がした。

「参りました」

 テイラーの言葉に、師は剣を納めた。その顔はどこか愉しげだった。

「当たるようになったな」

「はい」

 じわじわと心が充たされていくのがわかる。もう少し堪能していたいところだが、背後から強い視線を感じた。

「稽古は済んだのか」

「うん」

 振り返ると、少年がじっとこちらを見ていた。

「申し訳ないが、こいつを連れ帰る時間だ」

「とんでもないです。突然、無理言ってすみませんでした。ありがとうございました」

 その間も、少年の視線が痛いくらいに刺さる。言うまでもなく、自分もやりたいのだろう。そうでなくとも、父親を盗られるようで面白くなかったかもしれない。

「せんせい、さよなら」

「え?あっ、はぁ。さよなら」

 教官の前で先生と呼ばれるのは殊の外恥ずかしい。ましてや、それが教官の子となれば尚更だ。

「息子が世話になったな。エヴァンズ先生」

「ひぇ…?!」

 すっかり取り乱し、もはや瀕死のテイラーを尻目に、教官父子は肩を寄せ合って帰路に着いた。


 了 2021.8.6 「瀕死」